プロ野球界 記録に残る選手と記憶に残る選手

記憶に残る選手

プロ野球の世界には記録に残る選手が多数存在します。具体的には何らかの偉大な記録を樹立した選手がそれに該当し、打者でいうと1994年に1季200本安打を達成したイチロー、本塁打数世界一の記録を作った王貞治などが該当します。投手でいうと、生涯勝利数400勝を達成した金田正一、様々なタイトルや最年長記録を作ってきた工藤公康・山本昌などが筆頭と言える存在です。

しかし、プロ野球の世界には目立った記録は残していないものの、プロ野球ファン達の間で伝説の選手として語り続けられている記憶に残る選手も数多くいます。記憶に残る選手には2つのタイプがあり、一つ目は毎年タイトル争いをしつつ無冠に終わった選手、二つ目は活躍した年数は短いもののキャラクターの強い選手です。そして、前者の筆頭に挙げられるのが、毎年本塁打王争いに絡みつつ、結局一度も主要タイトルを獲得することなく引退してしまった無冠の帝王こと清原和博です。

後者の中で特にファンの心に残っている選手を何人か挙げると、まずは野球漫画・ドカベンの山田太郎に体型が似ている事から、ドカベンという愛称で広く親しまれた香川伸行が挙げられます。彼は体型が大柄すぎることもあって足が他の選手より遅かったため、長打率が低い選手として有名で、なんと三塁打は通算1本しかありません。なお、当時は長打につながりそうなヒットを打った際は、観客の目は放ったボールではなく彼の走りに集中し、アウトにならずに二塁・三塁に辿りつけるか見守る文化が存在しました。

また、鈴木一朗が1994年に登録名をイチローに改称した際、同様にパンチと登録名を変えた佐藤和弘(現タレント名パンチ佐藤)も記憶に残る選手の代表格です。社会人を経て、1990年にオリックスに入団した彼はパンチパーマと抜群の面白いキャラクターが大ウケして、試合出場は少ないものの国民的スターとなりました。そして、1994年に引退したあとも、短いキャリアの中で絶大なインパクトを残した伝説のプロ野球選手として人々の記憶に深く刻まれています。